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書きました

小説完成ですよー。

続きを読むで開きます。



幸せなぬいぐるみの話


 それは、まだ僕と「先生」が一緒に旅をしていたときの話でした。

 僕の住んでいた街に旅人さんがやってくるのはとても珍しいことでした。僕は生まれてから、この街の外の人を見たことがありませんでした。
僕はこの街の外のことは何一つとして知りませんでしたし、それゆえに外の世界に憧れにも似た感情を抱いていました。
 そんなある日、旅人さんが突然ふらりと僕の街を訪れました。何十年ぶりの旅人さんでしたから、それはもう皆嬉しくて、旅人さんを手厚くもてなしのました。
 僕も旅人さんがこの町にやって来たことがとても嬉しかったです。
 やっとこの街の外の世界を知ることが出来る! そう思ったからです。
 僕はすぐに旅人さんのところへ飛び出していきました。僕の家から少しはなれたところにある宿屋さんのドアをバーンと勢いよく開けるやいなや、旅人さんお話聞かせてください!と大きな声で叫びました。目をまん丸にした顔がいっぱい並んだ宿屋さんでの光景が、今でもくっきりと思い出せます。
 おもしろいぐらい同じ顔がいくつも並んだ人々の中から、落ち着いた、ゆったりとした足取りで歩み出る人がいました。
その人は僕の目の前に来ると、僕の小さな体に合わせてしゃがんで、にっこりと微笑みかけました。見ているだけで心が落ち着くような、とても優しい微笑みでした。
「いいよ、そこにお座り。色んな話をしてあげよう」
 旅人さんは広い広いこの世界のことを語り始めました。隣町のことから始まり、草原で寝転がって気持ちよかったこと、砂漠で水がなくなって困ってしまったこと、海を船で渡ったときのこと、大きなお城が建つ立派な国の話‥数えればきりがないほど、旅人さんはたくさんの話をしてくれました。
 それでも、僕は旅人さんのお話をもっともっと聞きたいと思いました。旅人さんと出会った次の日も、そのまた次の日も、そのまた次の日も、毎日毎日旅人さんのところにいって、たくさんの話を聞きました。
 でも、この人は旅人さんですから、同じところにずっと立ち止まっているわけにはいきません。旅人さんの旅立ちの日はすぐにやって来ました。
 僕はわあわあ泣きました。旅人さんとの別れが悲しくて仕方なかったからです。もう僕は外の世界のことをこれ以上知ることができないのです。涙はぜんぜん止まらなくて、もう涙が止まる日はないのではないかと思うぐらい僕は泣きました。
 すると、旅人さんはこういいました。
「じゃあ、いっしょに来るかい?」
僕の涙はぴたりと止まりました。こわごわと涙と鼻水まみれの顔をあげた僕に対して、旅人さんは初めて会ったときと同じように、にこにこ微笑みながらいいました。
「君が望むなら、私は構わないよ」
僕は、ぱあっと目を輝かせました。そして、飛び上がって喜びました。
これで、旅人さんと別れないでいられる!もっとたくさんの話が出来る!そう思うと嬉しくてたまらなかったのです。
 すぐに旅の準備を整えて、僕は生まれ育った街を旅立ちました。
 僕とその旅人さん――「先生」が出会った幸運に僕は感謝します。
もし先生が僕の街に来なかったら、もし僕が先生に会いに行かなければ、この旅はきっとなかったでしょうから。
 きっと僕は何も知らない幼い子供のままでいたでしょうから。
 いつまでも、僕たちの出会いばかりを語っていてもつまらないでしょう。
 今回は僕たちの出会いから、一年ぐらい経った時の話をしていきたいと思います。

 お日様の日がほとんど差し込まない暗い森を、僕と先生はひたすら歩いていました。
 ずっと旅をしてきた先生はこのようなことも今までにあったのでしょうが、僕にとってはこんなに暗い森は初めてでした。
 どうしてこんなに暗いの、と僕が先生に聞いてみると、植物でお日様が遮られているからだね、と先生はいいました。見上げると、僕よりもずっと背の高い先生を何十人も並べたぐらい高い木がいっぱいあって、僕と先生を見下ろしています。
 この大きな木がお日様を独り占めしている、いいえ、正確には独りではありませんが、そのせいでこんなに暗いのです。
 今まで歩いてきた森はそんなことなかったのに、と僕がいうと、人の手が入ると、こうやって背の高い木ばかり残すようなことはしないからね、と先生がでいいました。
 今までは人里に近い森を選んできたし、そのつもりだったのだけどね、情報が古かったのかな、と先生は独り言のように呟いていました。
 僕と先生は朝から夕方まで、暗い森を歩きました。お日様が沈んでしまったのを確認すると、僕らは歩くのをやめました。荷物を降ろして、火を起こして、二人で食事をしました。
 その後、食後のお茶を飲みながら、目指している大きな街について話しました。早く行きたいね、楽しみだね、というような話をしました。
 お茶の片付けも済ませた後、僕たちはすぐに寝床を作りました。街のなかでもないかぎり、いつも自分たちで作ります。
 僕は綺麗なお月様を寝転がって見られたらいいな、と思っていたのですが、あいにく背の高い木が邪魔をして見えませんでした。
 一日中歩いて僕たちは疲れていました。勿論、どこでもすぐに眠れる先生はすぐにぐうぐうと眠ってしまいました。でも、僕は先生と話した街のことを考えるとわくわくしてなかなか眠れませんでした。
 お日様が一日のうちで一番高くなる頃、僕たちは森を抜けました。
 目の前には崩れた建物が並ぶ町が広がっていました。
 僕は息を呑みました。崩れたレンガの壁が所々残されていて、剥げた石畳の上には様々なものが残されています。例えば、ばらばらの樽だとか、ぼろぼろの布切れや、黄ばんだ人間の骨など‥先生は僕の手を引いて、その場を離れました。
 僕らは崩れ落ちたレンガの家の一角に座りました。この辺りには、欠けたレンガが散らかっているぐらいで他には何もありません。
先生が溜息をついていました。予想通りだな、と独り言を言う先生の声が聞こえました。
 僕たち二人は口を利きませんでした。二人とも黙って、雑草と瓦礫ばかりが住んでいる町をぼんやりと眺めていました。
 昨日の暗い森のほうが、むしろお日様を遮るものはない空の下にいる今の僕たちにとっては明るかったのかもしれません。
 とても静かでした。話し声もないし、鳥のさえずりもありませんし、水の音も風の音もありません。本当に静かでした。
 お日様の角度が少し変わってきた頃、ようやく先生が立ち上がりました。
「行こうか、ここにいても仕方ないね」
僕は何もいわずに地面に置いていた荷物を手に取りました。そうです、先生のいうとおりです。
 ここに僕らがずぅっとぼんやりしていても、仕方がないのです。
 僕は目指している大きな街のことを思い出しました。
 その街の食べものはとてもおいしくて、ふかふかのベッドでぐっすり眠れるだろう、と先生が一昨日暗い森の中で食後のお茶をしているときに言っていました。
 それとあと、その街に大きなサーカス団が来ていて、一緒に見に行こうねとそのとき約束したことも思い出しました。大きなライオンや愉快なピエロと会えると思ったら、自然と楽しみでたまらない幸せな気持ちになりました。
 早く次の街に行こう、そう思って僕と先生が瓦礫の町を出て行こうとするそのときでした。
「ようこそ、二人の旅人さん!」
 僕と先生の背後から元気のいい声が聞こえてきました。
 この瓦礫だらけの町に誰かいるなんて! とても信じられませんでした。僕は後ろを振り返りました。
「いらっしゃい、僕たちは君たちを歓迎するよ!」
 そこに立っていたのは、うさぎのぬいぐるみでした。
 白くてふわふわの赤い目をした可愛いうさぎのぬいぐるみが二本足で僕や先生と同じように立っていました。
立っているといっても、小さな僕よりも更に小さなぬいぐるみで、僕が屈んだぐらいより少し小さいぐらいの大きさでした。
 白くてふわふわの、と僕はいいましたが、このぬいぐるみを綺麗にしてあげれば、の話です。
 実際は泥のまだら模様のべたべたとしたぬいぐるみで、しかも片耳は破れて綿がはみ出ていますし、赤い目の片方は目をくっつけている糸が取れかけでずれています。
 でも、こんなに汚い姿をしているのに、ちっちゃな両手だとか、片方が ずれてはいるけれどくりくりした赤い目だとか、何処か可愛らしいぬいぐるみでした。
 僕が可愛いぬいぐるみをじぃっと見ていると、先生は小さなぬいぐるみにあわせてしゃがみました。
「こんにちは、ぬいぐるみさん。君はずっとここに住んでいるのかい?」
 先生がにこにこしながらいいます。
 すると、ぬいぐるみは
「うん、僕は生まれた時からずぅっとここに住んでいるよ」
ぬいぐるみも、縫い付けられた目も口も動きませんが、にこにこしながらいいました。
「皆、僕に良くしてくれるよ。家族だけじゃなくて、そこのパン屋のおばさんも、靴職人のおじさんも、果物売りのお兄さんも、みぃんな良くしてくれるよ」
 ぬいぐるみは崩れた建物をちっちゃな手で指して、やっぱりにこにこしながらいいました。僕には誰も見えません。
 へぇ、そうか良かったね、と先生がぬいぐるみにいいました。
「うん、そうだよ、こんないい人たちに囲まれて僕は幸せだよ」
 ぬいぐるみは嬉しそうな雰囲気をちっとも崩さないでいいました。
 僕はあっけに取られてしまいました。先生、と小声で呼びました。
先生は、ぬいぐるみが後ろを向いたとき、僕の方を向いて人差し指を唇の前に立てました。先生にも誰も見えていないのだと分かりました。
「ほら、この子が僕のお姉ちゃんだよ。ちょっと恥ずかしがり屋さんだけど、とってもいい子だよ」
 ぬいぐるみは誰もいないところに手を向けて、「お姉ちゃん」を僕らに紹介しました。
 先生は、驚いたようすも困ったようすも全然ない顔で、よろしくね、と見えない「お姉ちゃん」に挨拶をしました。
「もうお姉ちゃん、せっかく旅人さんが挨拶しているのだから、恥ずかしがったりしちゃだめだよ」
 ぬいぐるみは「お姉ちゃん」に目と耳が片方ずつ取れた顔で笑いかけました。
 僕たちには見えないパン屋のおばさんも、靴職人のおじさんも、果物売りのお兄さんを紹介した後、ぬいぐるみは誰もいない宿屋に僕らを案内しました。
ゆっくりしていってね、といってぬいぐるみは瓦礫の山をあとにします。
暖かい食事も寝床もここにはありません。仕方がないので、僕と先生は荷物を降ろして、瓦礫をいくらかどけて、その場所で食事を作り、寝床を作りました。
「先生、僕はとてもあのぬいぐるみを見られないよ。可哀想で仕方ないよ」
何故だい、と先生はいいました。
「あのぬいぐるみはここにはいない人々に笑うし、とても楽しそうにお喋りをするんだよ。もうお姉ちゃんもパン屋のおばさんも靴職人のおじさんも皆いないのに、あのぬいぐるみは一人ぼっちだということに気づいていないんだ。
 本当のことにあのぬいぐるみは気づけないんだ、あの子は幸せなんかじゃないよ」
「私はそうは思わないよ」
 先生は落ち着いた口調でそういいます。
 すぐに僕は、どうして、と先生にいいました。
 そういえば、先生はおかしなぬいぐるみにあわせていっしょに微笑んだり、時には驚いたりしていました。まちがったことはいわない先生が、どうしてこんなまちがったことをしているのか、僕にはちっとも分かりませんでした。
「あのぬいぐるみは本当に笑っていたし、人々とお喋りをしていた。だから、彼は幸せだよ」
「でも、ぬいぐるみのほかには誰もいないよ」
先生は、いいや、といいました。
「ぬいぐるみにとって、彼は一人ぼっちじゃないんだ。彼の目には人々が映り、耳には人々の元気な声が聞こえているのだから。ただそれが私たちの目に映らず、耳に届かないだけだよ」
僕は先生に何も言うことが出来ませんでした。
 でも、僕はちっとも納得なんか出来ませんでした。
 あのぬいぐるみが幸せなわけがありません。
 お月様が綺麗な夜の空の下、先生がすうすうと寝息を立てている間、僕は寝床で横になったままずっと考えていました。
 ぬいぐるみの目と耳はそれぞれが片方ずつありません。そのせいで、ぬいぐるみには本当の町並みや人々の顔が見えないのです。
 なら、目と耳を元通りつけてあげれば、きっと本当のことに気づくことが出来るはず。
 僕は荷物からのりを取り出しました。なんでもくっつくのりです。鞄の取手が取れたときにも、これでくっつけて直したぐらいですから、ぬいぐるみの目と耳を治すぐらい簡単に出来るでしょう。
 僕は出来るだけ静かにのりを取り出しました。ぐっすりと眠っている先生を起こさないようにしました。
 先生は僕のやろうとしていることを分かってくれないでしょうから、起きたらきっと僕を止めるでしょう。
 でも、人形の目と耳は変なのです、本当は何も見えてないし、聞こえていないのです。僕はそれを治してあげるだけなのです。まちがいを正してあげるだけなのです。
 僕は静かに瓦礫の街へ僕は歩き出しました。
 しばらく歩くと、瓦礫の山の中の小さな隙間で眠る人形を見つけました。
おおい、ぬいぐるみ、ちょっと起きてくれないか、と声をかけると、ぬいぐるみは、ずれて取れかかっている目を擦りながら起きます。
「こんな時間になぁに、まだお月さんが出ている時間だよ」
「君の怪我をすぐに治してあげたくて」
「怪我? 僕怪我なんかしてないよ」
「君の目と耳だよ。目はずれているし、耳はちぎれて取れかけだよ」
「ああ。そういえばそうだった、すっかり忘れていたよ」
 自分の目と耳のことなのに、ぬいぐるみは僕にいわれてやっと思い出したようです。
「こっちにおいで、僕が治してあげる」
 ぬいぐるみは素直に僕のところまでやってきて、僕の膝の上に、ちょんと座ります。
 すると、ぬいぐるみはくすぐったそうに笑います。
「僕と違って、とても人の体は温かいね。お姉ちゃんやおじさんやおばさんは僕に話しかけてくれるけど、僕を抱っこしてくれることはもう何年もないよ、本当に久しぶりだ」
どうやら、ぬいぐるみの温かさを感じる力はおかしくないようです。
僕は少し安心しました。ぬいぐるみの全てがおかしかったわけではなかったのです。本当のことをほんの少しだけ、知っていたのです。
「大丈夫、目と耳が治れば、温もり以外も、もっと良くわかるようになるよ」
「うん、お願いします、旅人さん」
 ぬいぐるみはにっこり微笑みます。目を細めたわけでもありませんが、僕にはその微笑が分かります。僕も微笑みました。このぬいぐるみに、やっと本当のことを教えてあげられる、そう思うと自然と微笑んでいました。
 僕は、もう片方の目を見ながら、ずれた目を正しい位置に戻してのりでくっつけました。その次に、はみ出した綿を千切れた耳の中に戻し、耳の千切れた部分をのりでくっつけました。その間、ぬいぐるみはじっと大人しくしています。
 お日様が顔を出し始めた頃、やっと、目と耳を僕は治しました。先生はあっというまに鞄を直していましたが、僕はずいぶん時間が掛かってしまいました。
 終わったよ、と声をかけると、ぬいぐるみがぴくりと動きます。僕が縫っている間、眠っていたようです。
 目を覚ましたぬいぐるみは、ぱちりと目を開け、ぴんと長い耳を伸ばしました。
 もう、ぬいぐるみは本当のことに気がついたでしょう。僕は嬉しくてたまりませんでした。
「あれ?」
 ぬいぐるみは真っ赤な目をぱちくりとさせ、耳をぴょこぴょこと動かしました。
「ここはどこ?」
 ぬいぐるみが僕を見上げていいます。
「ここは君の町じゃないか。決まっているじゃないか」
僕は思わず笑ってしまいました。当たり前のことをぬいぐるみが聞いてくるからです。
「何でこんなに建物が崩れているの?僕の町はもっと綺麗な建物が並んでいて、崩れた建物なんてないよ」
「何を言ってるのさ、ずっと前からこうだったでしょ」
一度だけではなく、二度もぬいぐるみが当たり前のことを聞いてくるので、僕は更に大きな声で笑ってしまいました。
「じゃあ、皆は? 皆の声も聞こえないし、崩れた建物の中にいたら怪我しちゃうよ」
「いないよ、こんなところに」
 やっぱり笑うのを堪え切れないまま、僕はいいました。
ちっちゃな両手を合わせて、ぬいぐるみはつぶらな可愛い目で僕をじっと見つめます。
 とても愛くるしい姿でした。僕は可愛いぬいぐるみに、まるで先生が僕に何かを教えてくれるときみたいにいいます。
「あのね、この町はずっと前に滅んでいるんだ。この町の人は君以外皆いなくなってしまったよ」
「‥町が、滅んだ?」
「そうだよ」
 たどたどしく繰り返すぬいぐるみに僕は微笑みかけます。
ぬいぐるみはまた目をぱちくりとさせ、耳をぴょこぴょこと動かします。
そして、僕にいいます。
「皆は、いないの?」
「いないよ」
僕はすぐに答えました。ぬいぐるみは僕を見上げたままちっとも動きませんでした。
 全然動かない、可愛い可愛いぬいぐるみに僕は本当のことをいってあげます。
「君は一人ぼっちなんだよ」
 やっと、これでぬいぐるみは本当のことを知ることができたのです。
ぬいぐるみの前に本当の世界が開けたその瞬間、ぬいぐるみのくりくりとした目は輝きを失くし、ピンと伸びた耳がくたりと垂れました。
「おおい?」
 僕は怖くなって、ぬいぐるみに呼びかけました。
 返事はありません。二つの赤い目はお日様の光を跳ね返してきらきらしているだけです。
「どうしたの?」
 ぬいぐるみを掴んで、ゆらゆらと揺らしてみました。ぬいぐるみは何の抵抗もなく、ぐらぐらと揺れて、ぽてりと地面に転がりました。
長い耳が剥げた石畳の上に横たわりました。
 僕はどうしてそうなったのか、分かりませんでした。もうぬいぐるみにいくら話しかけても、微笑みかけても、ぬいぐるみはびくともしません。まるで、この町のあちこちに転がるばらばらの樽だとか、ぼろぼろの布切れや、先生が僕の手を引いて遠ざけた黄ばんだ人間の骨などのようでした。
 ぬいぐるみはこの後にはもう二度と、笑うことはありませんでした。
そこにあるのは、もはやただのうさぎのぬいぐるみでした。
ぬいぐるみに何度も何度も呼びかけ、揺さぶる僕の元に先生がやって来ました。
 そして、ぬいぐるみを掴んで離さない僕の手を、先生は大きな手で包みます。
「ぬいぐるみは死んでしまったよ」
 悲しい目をして先生はいいました。
「何で死んでしまったの? 生き返らないの?」
 僕は泣きじゃくりながらいいました。
 可愛いぬいぐるみが、もう二度と笑ってくれないなんて、あんまりにも突然すぎたし、悲しくて悲しくてどうしようもなかったからです。
「死んでしまった命はもう戻らない」
「どうしても?」
 僕は涙を一杯に溜めた目で先生を見上げます。そのときの僕の口はへの字型に大きく開いていました。
「どうしても、だよ」
 先生はとても悲しそうに微笑みました。
 僕と先生は、瓦礫の山に取り囲まれた昨夜の寝床に戻りました。
 泣いてばかりの僕に、先生は火を起こして温かい飲み物を出してくれました。温かい飲み物は僕の胸に優しく染みこんでいきました。
 そのうち、僕の涙も止まりました。
 僕が流した最後の涙は、沈みかけた赤いお日様に照らされて、きらきら輝きながら消えていきました。
「何で死んでしまったか、だったね」
 僕の最後の涙が消えていったそのとき、先生が言いました。僕はうつむいていた赤い顔を上げます。
「それはね、ぬいぐるみが自分は幸せじゃないって思ってしまったからなんだ」
 先生の言葉は僕にはよく分かりませんでした。
 僕は、ぽかんと先生を見上げるばかりでした。何て先生にいえばいいのかもちっとも分かりませんでした。
「ぬいぐるみはね、昨日までは綺麗な町に優しい人々と暮らしていたのさ。でも、今日、この崩れて誰もいないこの町を知った。
 そこで、ぬいぐるみはき昨日までの幸せな日々を想ったのだろう。だから、ぬいぐるみは死んでしまった」
「綺麗な町も、優しい人々もなかったのに、本当にぬいぐるみは幸せだったの?」
 先生は、うん、と頷きました。
 幸せだったから、ぬいぐるみは死んでしまったんだ、と先生はもう一度いいました。
 僕にはちっとも分かりませんでした。でも、先生はもうこれ以上何も言ってくれません。
 だから、僕は分かろうとするのを諦めました。それなら、もう一つ別のことを言おうと思いました。
「僕は今、幸せじゃないよ、とても悲しいよ。いっぱい泣いたよ。でも、僕は死んでいないよ。じゃあ、どうしてぬいぐるみは幸せじゃなくなったからって死んでしまったの?」
 僕は今まで、幸せを失くしたことが何回もあります。
 例えば、原っぱを走り回っているうちにこけて膝をすりむいたときやお気に入りだった可愛いひよこの置物をなくしたとき、僕は決して幸せなんかじゃなかったはずです。
 特に旅の間に仲良くなったお友達とのお別れのときなんて、幸せのひとかけらすらも僕は失っているでしょう。
 でも、僕は死んでいません。
 先生のいうことはいつも正しいですが、今回は正しいように僕には思えません。
 じぃっと先生を見つめる僕に、突然先生が微笑みかけました。
「君は明日、笑えるかい?」
 僕は明日のことを考えました。明日はこの崩れた町を離れ、暗い森を抜け、目指していた街にたどり着いているはずです。
ずっとその街に行くことを僕は楽しみにしていました。
 でも、明日の僕はぬいぐるみのことが悲しくて、折角のおいしいたべものもふかふかのベッドもサーカスも楽しめないでしょう。
僕は首を振りました。
「ううん、僕はきっと笑えないよ」
「じゃあ、明後日は?」
「笑えないよ」
 僕はきっぱりといいました。
 今日の僕は一昨日の先生とお喋りして楽しかったことを覚えているのです、明後日の僕だって今日の僕の涙を覚えているでしょう。
 だから、きっと笑わないでしょう。
「じゃあ‥一年後の君は?」
「一年後?」
 僕は困りました。今日から一年前の僕を、今日の僕ははっきりと思い出せません。
 確か、先生と出会った日でしょうか。いつか別れると知っていながらも、先生と楽しくお喋りをしていた日だったのでしょうか、先生と別れなければならなかった日なのでしょうか。それとも、僕がまだ先生と会ってすらないときだったのでしょうか。
 一年前の僕は、今日の僕には遠すぎました。
 今日から一年後の僕は、今日の僕を覚えているでしょうか?
「分からない」
 これが正直な僕の答えでした。
「じゃあ、笑っているかもしれないね?」
「うん」
「そこが君とぬいぐるみの違いさ。だから、君は死なないんだ‥ぬいぐるみと違って」
 先生はいいました。けれど、僕にはやっぱり分かりませんでした。
 先生の優しくて悲しい顔が僕にはよく分かりませんでした。

 思い返せば、あの頃の僕は本当に幼かったとつくづく思います。僕はどうしようもなく、子供だったのです。あんな残酷なことをよくも平気な顔でやったものだと思います。
そして、今の僕なら、当時の僕には分からなかった先生の言葉が良く分かります。
 ぬいぐるみは幸せだった。そして、幸せじゃなくなったから死んだ。
先生は何一つとして間違ったことを言っていませんでした。ただ、僕が幼すぎて分からなかっただけなのです。
 いくつも年を重ねるうちにやっと気づいたのです。
 子供の頃は確かに知らないでいることができた、けれど大人になってからは知らずにはいられないことだったから。
 僕はそれを改めてここに書き記すつもりはありません。
 でも、これは僕が旅で得た大切な宝物です。絶対に失くしてはいけない、大事な大事な宝物です。
 きっと、誰しもがこの僕の宝物を持っているでしょうけれども、誰かが持ってるから価値が下がるようなものではありません。
 僕が、君が、自分の手でこの宝物を得た、それ自体がとても尊くて価値があることなのですから。


あとがき
 最初はこんな話書くつもり0%だったのですが、その前に考えていた話が長~い話でこりゃ締め切りに間に合うわけがないと判明、よっしゃ無理だ、別の短いやつにしよう、ということで短くまとまりそうな話にしてみました。一日で終わるぐらいかなぁ、と当初は考えていました。
しかし、書き出すと予想よりもずいぶん掛かってしまいました。頭の中で考えていた分に新しい展開を書き足したわけでもなんでもないのに、冒頭の説明を増やしたらあら不思議予定の倍近くの分量になっちゃったのです。
では、論点。
●「ぬいぐるみは幸せだった。そして、幸せじゃなくなったから死んだ」の意味は取れましたか?
私は、私が想定していた答えとは別のものがあっても全然かまわないと思っています、出来るだけ多くの人のご意見を聞きたいです。
人それぞれの受け取り方があっていいと私は思っていますが、意味不明の一言で片付けられる事態は想定していません。そう思った方がいらしたら、どこが意味不明だったか教えてもらいたいです。頑張って改善します。
 逆にこれの意味は分かるけど、納得行かない、と考える方もいらっしゃいましたら、意見を聞かせてほしいです。
●「僕」はどんなキャラクターだと思いましたか?幼いとしか書いていませんが、具体的にどのくらいの年齢の子供だと思いましたか?
私はその辺り良く考えずに、ただ漠然と「子供」として書きました。何か不自然さを感じところがありませんでしたか?
●冒頭の「僕」と「先生」の出会いの話などは冗長だと感じましたか?
本筋に入る前に、この話の世界観を了承してもらうために書きましたが、別になくても大丈夫でしょうか。
●そのほか、誤字脱字、段落の分け方などなど。
ご意見ご感想お待ちしております。


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